2021年エストニアと日本の外交関係樹立から100周年を迎えました。1921年1月26日に日本はエストニアを国家承認しました。
これまで築いてきた両国の関係における重要で歴史的な瞬間の概要を写真、文書、記事を閲覧しやすくまとめました。
作成 : タルトゥ大学、エストニア共和国大使館、エストニア共和国外務省
広い観点で見ると、エストニア人は、19世紀半ばに日本という国について学校の教科書や地図、新聞等を通じて知識を蓄えていくことになりました。
例えば、エストニア地方の新聞では、1857年にペルノポスティメース新聞社の編集者であったJ.V.ヤンセンの記事によって始めて、日本について「この国は美しく、人々は明敏だが、異教徒の闇の中で生まれ、死んでいく」と紹介されました。主に船員らによってこの「不思議な国」はその後新聞の旅行コラムなどで取り上げられるようになりました。
エストニアと日本の関係の重要な事件の一つが、日露戦争(1904年~1905年)です。およそ1万人近くのエストニア人が遠い戦場に向かいましたが、これまでもその後も、エストニア人にとって日本という国をこれほどまでに意識することはなかったことでしょう。当時のエストニア地方の新聞には毎号のように、日本との戦況に留まらず、日本の習慣や文化、歴史の説明までが記事になっていました。また、直接的な内容としては、戦場から家族へ宛てられた手紙などに、日本についての言及が見られました。
エネ・セラルト(タルトゥ大学)
天皇皇后両陛下の歴史的訪問の一環として2007年5月24日に歌の広場で約3000人の歌手や合唱団の子供たちがエストニア全土から集まり特別コンサートが開かれ、エストニアの歌の伝統を披露した。
写真:エストニア外務省
(写真 Andrus Eesmaa、Järva Teataja新聞社)
8月23~27日まで開催された広島アニメーション映画祭(HAFF)では、300以上に及ぶエストニアのアニメーション映画の特集が組まれ、監督や作者のプログラム、コマーシャルアニメ、TVシリーズ等が紹介された。それまで、海外でエストニアのアニメや映画は、このようなスケールで上映されたことはなかった。
広島アニメーション映画祭は、アジアや世界で最も歴史のがあり、重要なアニメーション映画イベントの1つであり、2年ごとに開催されてる。このイベントは、エストニア共和国建国100周年の国際プログラムの枠組みの中の1つとして開催された。
また、エストニア共和国100周年を機に、広島アニメーションフェスティバル(8月23-27日)でエストニアが特集され、カルヨ・ポルの展覧会が「小国神社」及び佐久市(長野、2019年)にてKUMU美術館主催で開催された。 EUの映画祭や文学祭にも参加。